「許す=心を緩める」で手放す。心の傷を軽くして自分軸で生きる方法

人間関係

「許す」を「心を緩める」と捉えたら、感情が軽くなった

前回の記事でお話しした、[許す=心を緩める]ということを続けていくうちに負の感情を手放せるようになってきました。

長年抱えていた怒りや悲しみが、「許す=心を緩める」と考えることで和らいできました。

許すことを「受容」と思っていた頃は、なかなか手放せなかった負の感情。受容ということは相手の言ったことを受け入れるということ。それはできなかった。

しかし、「心を緩める」と解釈することで、驚くほど心が軽くなったのです。

何年も相手に言われたことに執着して怒りや悲しみに振り回されていたのに、許すを受容と思っていたのを心を緩めるに解釈しただけでなぜ心が軽くなったのか不思議で仕方ありません。

「心を緩める」とは何なのか。自分なりにゆっくりと心を緩めるについて考えてみました。

「許し」は相手のためではなく、自分の心を解放する行為

「許す」とは、相手を受け入れることではなく、自分が握りしめていた感情を手放すことだったのかもしれません。

受容は相手主体の視点になりますが、心を緩めることは自分主体。

相手の行動を変えることはできなくても、自分の心の緊張を解くことはできる。

それが、心の自由につながるのだと思います。

「許す=心を緩める」なら、相手はもう関係ない

相手を許せるかどうかを考えているうちは、意識が常に相手に向いてしまいます。

しかし、「心を緩める」と捉えた瞬間、視点は自分に向きます。

誰かに振り回されるのではなく、自分の心を大切にする行為へと変わるのです。

そう気づいたとき、これまで張り詰めて生きていたことにも気づきました。

緊張を解くように、自然とリラックスできる感覚が生まれました。

受容だと相手主体で考えてしまうので、どうしても相手の行動や言葉に縛られ、自分の心が苦しくなってしまいます。

でも、許しを「自分の心を緩める」行為と捉えると、自分がコントロールできる部分に焦点を当てられるので、自由さが生まれるのだと思います。

相手の行動や過去の出来事を変えることはできませんが、それにどう向き合うか、どう解釈するかは自分次第です。

相手を許せるか許せないかという視点だと常に相手が登場してしまいますが、許す=一旦心を緩めるという視点から入ると、自分の心の中のみに視点がいくので相手は入ってきません。

心を緩めるということに集中します。

この、心を緩めるという言葉、今まで緊張しながら生活をしていた私にとっては、リラックスできる言葉でした。

なんだか、今まで気を張って生きていたなあという感じです。

緩めるという言葉が、なんだか居心地が良いというか、癒される感じがしました。

解釈を変えたことが、いつのまにか「自分主体」の視点になっていたのだと思います。

これまで私は、誰かに言われたひどい言葉や、された行為が心に深い傷を残し、その傷は一生消えることはないと感じていました。

「相手にされたことが辛くて不幸だ」「相手のせいで私の心は傷ついた」と考え、相手の行動や言葉にとらわれ続け、自分の気持ちがずっと重く感じていました。

それが今、感情を手放せている自分に驚いています。

相手が何を言ったか、何をしたかを変えることはできませんが、それにどう向き合うか、どう解釈するかは自分次第です。

許しを「心を緩める」ことと捉えることで、心の重荷を徐々に解放し、軽くすることができるんです。

解釈の変化が「自分主体」の生き方につながる

過去の傷や相手の言葉に囚われ、「あの人のせいで私は傷ついた」と思い続けていました。

でも、「心を緩める」と解釈を変えたことで、自然と視点が「相手」から「自分」に移りました。

誰かの行動を変えることはできなくても、自分の捉え方は変えることができます。

「心を緩める」を意識して生きる

気づけば、過去の感情に振り回されることが減り、気持ちが楽になっていました。

許しとは、無理に誰かを受け入れることではなく、自分の心を緩めること

これからも「心を緩める」ことを意識しながら、軽やかに生きていきたいと思います。

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